4年前、チーム単独で試合できないほど選手が少なかったチームが昨年、リーグ戦優勝でシーズンを終えた。息子とともにチームに入った新監督の指導により、チームはどう変わったのか。それを支えた、選手たちの父母の努力は…。新潟市の中心地にある学校の校庭で元気な声を響かせる子どもたちを指導する、熱き指揮官が思い返す──。
(取材・構成=鈴木秀樹)

しもとり・のぼる●1985年、新潟市生まれ。10歳上、6歳上の兄の影響もあり、万代小4年から新潟中央リトルで野球を始める。宮浦中時代は新潟シニアでプレー。新潟明訓高に進み、3年生の夏にベンチ入りし県ベスト4。東京経済大では4年生で試合メンバーに入り、首都大学リーグで主に外野か一塁を守った。卒業後は社会人軟式の新潟信用金庫でプレーし、33歳で監督に。天皇杯、中部日本都市対抗などに出場した。2021年、小2の長男とともにBN野球クラブに入部し、翌年からコーチ、2024年から監督。軟式野球連盟の大会のほか、「登録選手全員出場」「EDH(9人のほかに打撃だけで出場する特別指名打者)制」などの独自ルールを採用する「新潟信濃川リーグ」にも参加している

[新潟・BN野球クラブ]
霜鳥 昇
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高橋 豊
[新潟・両川スポーツ少年団]

たかはし・ゆたか●1978年、新潟市生まれ。同市立酒屋小(現・両川小)のときに野球を始め、市立両川中、新潟向陽高では野球部に所属。高校卒業後は「草野球程度」でプレーを続けていたが2006年、知人の誘いで両川スポーツ少年団創設時からコーチとしてにわる。2011年から同少年団の監督。秋の新人戦で2度の県大会優勝経験を持つ。6年生の最高成績は、全日本学童大会マクドナルド・トーナメントの新潟県大会準優勝

「MAJOR」にあこがれて
長男の司(つかさ)とともに、このBN野球クラブに入団したのは、もう5年ほども前のことです。当時、チームには6人の6年生と、2人の下級生しかいませんでした。
アニメ「MAJOR」が大好きだった2年生の司が、主人公の茂野吾郎に憧れ、「ボクがこのチームを強くするんだ」とBN野球クラブを選んだのも、今となっては良い思い出です。
そして、その彼が6年生になった2025年、チームは一昨年から参加している「信濃川リーグ」での優勝という好成績で、シーズンを終えることができました。

昨年は春から出場した数々の大会で、後に優勝するチームに敗れたり、勝ち進んでも接戦を落としたりと、「あと一歩」のところまでいきながら、なかなか結果を残すことができなかったBN野球クラブ。それでも、何年も上級生が極めて少ない年が続いたこともあり、下級生の頃からずっと主力として、上の学年のチームと戦ってきた選手たちは、いつの間にか、われわれ大人が想像していた以上の実力をつけていたようです。
そうして、最後の最後にタイトルを獲得することができたのです(まさにシーズン最終戦で!)。これもまた、まるで漫画やアニメみたいな話ではないか──と一人、目頭を熱くしています。

チーム初の遠征
昨年のシーズン前の2月には、忘れられない出来事もありました。それまで県外のチームとの対戦経験が皆無であったチームが遠征し、対外試合を行ったのです。相手は、私の大学の同級生で、今回、この監督リレートークでつないでくれた小林勇輝クンが監督を務める「阿久津スポーツ」。栃木県で何度も県大会を優勝している、伝統ある名門チームです。

結果は2試合し2敗。強豪の手ごわさを思い知らされた2試合でもありましたが、その一方で、こちらも十分な手応えと、選手らの成長を感じることができました。この試合での経験が、昨シーズンの活躍につながったことは間違いありません。
大学を卒業して、もう20年近く。小林監督と会うのもその当時以来だったのですが、対戦のお願いに連絡したときから、お互いの親近感はまったく変わらないものでした。時を経ても変わらない、そんなつながりがありがたくもあり、戦ってくれた阿久津スポーツの選手たちにも感謝するばかりです。

仲間集めに選手も奔走
新潟生まれ、新潟育ちの私は、新潟明訓高から東京経済大に進み、卒業後は地元に戻って、社会人軟式チームで野球を続けました。10年間、選手としてプレーを続けた後、その社会人チームの監督に。息子がBN野球クラブに入部したのは、ちょうどその頃でした。
BN野球クラブというチーム名は、母体となっている小学校の名前から来ています。「万代長嶺小学校」。かつてあった「万代小」と「長嶺小」の2校が合併してできた学校です。別々の学校だった頃には、どちらにも学童野球チームがあったそうですが、学校の合併と同時に、チームも合併し「BN」になったというわけです。
新潟駅は目と鼻の先。市の中心地にある学校を母体に活動していることもあって、選手の父母には、転勤のある大企業に勤めている方も多いんです。そのため、中には卒団を待つことなく、転校でチームを抜ける選手も…。悩ましい点ではありますね。

BN野球クラブでは当初、父母コーチの一人として練習の手伝いをしていましたが、やがて当然、素性は明らかになるわけで…。当時は野球経験がない父母がほとんどだったこともあり、私は社会人チームの監督の任を終えたのと同時に、このチームで監督をすることになったのでした。これもまあ、よくある話なのかもしれません。実際のところ、監督が変わったところで、チームが突然、強くなるわけではありませんし、一人で何ができるわけではなく…。
ところが、です。息子とともにチーム練習に顔を出すようになった当時、他チームとの合同でなければ試合もできないほど少なかった部員数が、私が監督に就任した頃には13、4人にまで増えていました。息子も含めた選手たちが自ら、クラスメートたちに声を掛け、メンバーを勧誘して回ってくれていたのです。私の携帯電話の番号を付箋にメモし、「一緒にやろうよ」「練習見に来てよ」なんて言いながら、それを渡して…。

また一方で、選手のご両親たちも、献身的な働きで練習の補助をしていただくなど、チームの活動を支えていただきました。そうして徐々にチームが形づくられ、現在の姿になってきたのです。誰か一人が欠けても、このチームの現在はなかったのではないかと思います。感謝しかありません。
あいさつの徹底から

そればかりではありません。皆さん一致して、かつてのBN野球クラブのスタイルからはかけ離れた、「やるからには勝とう」という、私の掲げた方針にも賛同していただいたのです。
当然、それまでに比べれば、厳しい練習だったと思います。それ以前に、最初は「あいさつできない」「準備できない」「片付けできない」、そんな子が多かったんです。親が練習の準備してくれている間も遊んでいたり、騒いでいたり…。そんな光景はよく見られました。
そのたびに、私は口うるさく言い続けました。「試合でエラーするのは仕方がないけど、これは絶対ダメだ」って。練習に入る前に、何度もあいさつからやり直しをさせるなど、選手らには厳しい言葉を掛けることも多かったのですが、父母の皆さんは私の側に立ち、同じように子どもたちに言ってくれました。

ずっと野球をしてきた私のような人間にとっては、野球をプレーする楽しさと勝利の喜び、そして練習の厳しさは不可分ともいえるものですが、こと最近は、少年野球は勝利にこだわらず、とにかく楽しく、という意見もよく聞きます。
そんな中、父母の皆さんが私の意見に賛同いただき、文字通り気持ちを一つにして練習に励むことができたのは非常に大きかったと思います。
今ではBN野球クラブの選手たちは、監督やコーチ、大人たちに急かされなくとも、自分たちで準備をし、大きな声であいさつし、自分たちで練習を始めます。練習は決して楽ではありませんし、楽しいことばかりでもありませんが、指導者の思いを理解して、野球をずっと好きでいてくれる。そこまで成長した子どもたちを、お父さんやお母さんたちは厳しくも優しい目で見守っていてくれます。

もう少し時間があれば…
万代長嶺小の校庭はバックネットの後ろが狭く、試合をするには厳しいかなと感じられるつくりですが、広さは少年野球ならば外野まで、しっかり一面とれるほどのサイズがあります。ただ、サッカー部と共用であり、休日の練習も午前と午後、どちらか半日といった具合でしか使えないんです。
この練習時間だと、どうしてもグラウンドを広く使った実戦形式の練習を優先することになります。そうすると逆に、基本練習に割く時間が少なくなってしまう…。本当は、ノックも打撃練習も、もっと時間を取れたら…と思うのですが、難しいところです。
3年前くらいからは、なんとか時間を確保してもらって、週に一日、体育館を使って午後7~9時という時間で、平日練習をすることができるようにはなりました。これだけでも随分、違います。長らく足りないと感じていた、基礎トレーニングを重点的にやっています。


「家族の青春」!!
新潟県は冬の間、雪により満足な活動ができないという、悩ましい地域的な事情があります。もちろん、北海道や東北など、北部地域では共通の悩みなのでしょうが…。現在は土日も、週一日の平日練習も、体育館で基礎練習を中心に取り組んでいます。
それもあり、BN野球クラブは11月のシーズン終了をもって、6年生は卒団となります。昨年、チームに新たな歴史を刻んでくれた6年生たちも、無事に送り出しました。
「小学生の甲子園」といわれる全国大会、マクドナルド・トーナメントで昨年、8度目の優勝を果たした大阪の名門・長曽根ストロングスさんのホームページに、こんな言葉がありました。
「少年野球は家族の青春」
思わず膝を打ちました。まさにこれではないでしょうか。
卒団式では選手たちが親に感謝を伝え、親はその言葉を涙とともに受け止める、感動的な場面が多くみられました。
中学、高校と野球を続けてくれる子が多くいてくれれば、それはそれで、もちろんうれしくはありますが、こうして親子で一緒に活動できる時間は明らかに減ります。こんなふうに、親子で素直に抱き合うこともできなくなってくるでしょう。

雪解けを待つ日々
さて、卒業生たちを送り出し、学童野球も新たなシーズンを迎えます。卒業する6年生選手は半数が地元中学校で、半数が硬式クラブチームでと、全員が野球を続けてくれます。卒業生たちが野球を続けてくれる喜び…これも指導者冥利に尽きますね。
昨年は9人の6年生を中心に頑張ってきましたが、今年は新6年生が2人と少ないBN野球クラブ。ただ、7人いる新5年生には、高い実力を持つ選手がそろっています。どれくらい戦えるか、不安もあり、楽しみでもあります。
そして今年も小林監督に連絡し、2月後半の連休には栃木遠征を行い、阿久津クラブさんと、そして今回は新たに、小林監督の紹介で笹原ヤンガースJr.さんとも試合をさせていただきました。
結果は連敗…。それでも、あともう少しという惜敗もあり、チームの長所、課題を一つひとつ確認することができた、貴重な遠征となりました。これから選手たちがどんな風に成長してくれるのか、楽しみなシーズンになりそうです。

そして、このリレートークを、同じ新潟市で活動する、両川スポーツ少年団の高橋豊監督につなぎたいと思います。
同少年団は県を代表する強豪チームで、高橋監督は長くその指導にあたられています。実は、私がBN野球クラブで教えるようになってから、ひそかにお手本にしていたのが両川さんなんです。それこそ、あいさつや準備、片付けといったマナー面も含めて、選手たちが本当にしっかりしている。BN野球クラブがここまで来ることができたのは、目標である両川さんの姿があったからこそといっても過言ではありません。
来季もまた、大会では目標にさせていただくことになると思います。よろしく願いいたします!
